アラン・ドロンが亡くなりました。
ある年代以上の人であれば、絶対に知っているこの名前。
昭和時代には、「美男子」(まだイケメンという言葉はなかった)の代名詞のような存在でした。
まだ10代だった頃、私は洋画に夢中で当時の映画雑誌「スクリーン」や「ロードショウ」を毎月欠かさず読んでいたものです。
今のようにネットのない時代、今でいう「推し」の情報を得るには、雑誌を頼るしかなかった時代でした。(その頃の自分の「推し」はスティーヴ・マックイーン)
そして当時(1970年代)、ドロンはすでにベテラン俳優の域に差し掛かっていましたが、1971年に公開された「レッド・サン」に、当時大人気だったチャールズ・ブロンソンや日本の名優三船敏郎らと共に主役格として出演。
その映画は、若い頃からドロンのファンだった母と一緒に映画館で見たことで、自分にとっては忘れ難い思い出の作品となっています。
その映画の中でのドロンはブロンソンとコンビを組む、強盗団の一味役。
舞台がアメリカの西部で荒くれものばかりの中、やけにおしゃれで色男なのが異常に目立つ、ちょっと不思議な立ち位置の人物を演じていました。
そんなドロンの名前が日本で一躍有名になったのは、「太陽がいっぱい」でしょう。
パトリシア・ハイスミス原作のこの映画で、ドロンは富豪の息子フィリップの友人、トム・リプリーを好演。
ぞっとするほど美しいのに、その瞳にはどこかしら底知れない陰と悲しみがたたえられ、単なる2枚目とは思えない唯一無二の存在感をその頃からすでに漂わせていました。
ラストシーン「あぁ、太陽がいっぱいだ」とドロンが呟くセリフがありますが、このセリフは日本語吹き替え版で「ドロンの声」として有名だった野沢那智さんの声とともに、今でも鮮明に思い出すことができます。
その後、彼は「冒険者たち」「ボルサリーノ」「山猫」「地下室のメロディー」「サムライ」など、幾多もの作品に出演。
美貌が際立つ人でしたから、登場するだけでも画面に「華」を添えましたが、年齢を重ねるごとに重みや渋みが滲み出す演技を見せるようになり、2019年にはカンヌ国際映画祭において、長年の映画界への貢献をたたえ、「名誉パルム・ドール」が贈られました。
また、ナタリー・ドロン、ロミー・シュナイダー、ミレーユ・ダルクなど錚々たる女優たちとの結婚や交際でも有名だったドロン。
最後は3人の子供達に見守られ、自宅で静かに息を引き取ったと伝えられています。
享年88。
「花も実もある人生」だったと言えるのではないか、と私は勝手に思っています。
生前ライバルでもあり、友人でもあったジャン・ポール・ベルモンドと今頃天国で再会し、地上での思い出話にあれこれ花をさかせているのではないでしょうか。
ご冥福をお祈りします。