音楽

ピアニスト フジコ・ヘミングさん死去

耳の聞こえない作曲家、と聞いてすぐに想像するのはベートーベンです。

音を紡ぎ、作品を作り、指揮者としても活躍したベートーベンが、耳が聞こえないのにどうやって音楽を続けることができたのか、自分にはずっと不思議でした。

伝記によれば、ベートーベンの耳が聞こえなくなったのは28歳ごろのことだったそうです。

耳が聞こえなくなった後のベートーベンは、口にくわえた指揮棒をピアノに接触させ、その振動を感じ取ってそれらを音符に変換していったとのこと。

このあたりはさすがに天才だからこそできるわざ、だと思いますが、彼の作品中最も有名なもののひとつ「第九」は、全く耳が聞こえなくなった状況下で作曲されたものと知り、本当に驚きました。

そして、ベートーベンと同じように、若い頃聴力を失い、失意に沈みながらもピアノに対する情熱をなくすことなく、一生を通してピアノを弾き続けたフジコ・ヘミングさんが、4月21日に亡くなっていたことがわかりました。

享年92。

昨年末に自宅で転倒して怪我を負い、さらに今年に入ってからはガンを患って静養中だったということです。

フジコさんは、ピアニストとして華々しく活躍するはずだった矢先、風邪をこじらせて聴力を失いました。

その後耳の治療をしながら長年ヨーロッパで演奏活動をしていましたが、母の死後日本に戻った頃に、NHKのドキュメンタリー番組「フジコ~あるピアニストの軌跡~」で、波乱万丈な彼女の半生が紹介されると、大きな反響を呼び、彼女は一躍時の人に。

60代の「遅咲きピアニスト」として、クラシック界にフジコ・ブームを巻き起こしました。

演奏家としては、特にリストとショパンの演奏への評価が高く、また「ラ・カンパネラ」については、フジコさん自身が生前「分のカンパネラが一番気に入っている」など、フジコ・ヘミングと「カンパネラ」は切っても切れぬ関係でした。

もうフジコさんがピアノを弾く姿を見ることはできませんが、彼女が残した情熱的で美しい音色の数々はこれからも私たちの中で響き続けます。

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