音楽

ベイシティーローラーズのボーカリスト レスリー・マッコーエン死去

1970年台半ば「ターターン旋風」と形容され、一斉を風靡したスコットランドのバンド「ベイシティーローラーズ」。

BCRという略称で呼ばれることも多いこのバンドで、フロントマンとしてそしてボーカリストとして活躍したレスリー・マッコーエン(Leslie McKeown)が4月20日に亡くなりました。

享年65歳。

私よりは少し年上ですが、さすがに65歳での逝去は早すぎると、とても残念に思います。

現段階では死因など不明とされていますが、時間を追うごとにいろいろなことが明らかになってくるかもしれません。

個人的な思い出として、「レスリー」と聞いてすぐに思い出すのが、昔大のBCRファンであり、レスリーのファンでもあったある友人のことです。

音楽の趣味が合う人だった彼女は、レスリーが好きなあまり、彼の出身地であるスコットランドの首都エディンバラまで行き、ファンの間では有名だったという「有名になる前レスリーが座ったベンチ」を探し当てて、実際そこに腰を下ろしてきたのだそうです。

当時は「いや、そこまでする?」と半ば呆れながらも「そんなにも一途に一人のアーティストを想えるものかしらね」と感心もしたものです。

それから月日が流れ、数年前に私自身も初めてエディンバラに行く機会がありました。

ふと「レスリーの座ったベンチ」のことを思い出しましたが、もちろんそれがどこにあったものなのか、わかるはずもなく。

でも、いつのまにか連絡も取れなくなってしまったかつての友人に思いを馳せながら、夏なのに冷たい風が吹くエディンバラ城から眼下に広がる市街地を眺めていましたね。

今ではどちらも本当に懐かしい思い出です。

レスリーが在籍したBCRは、タータンチェックのコスチュームで知られ、日本では多分「サタデー・ナイト」や「二人だけのデート」の2曲が突出して有名ではないでしょうか。

女性を中心に圧倒的な人気を誇り、一時はビートルズの再来とまで言われたBCRでしたが、メンバーの入れ替わりが激しかったりスキャンダルも多くて、70年代後半にはバンドは一度解散。

しかしその後何度か再結成を繰り返し、レスリーは結構最近までBCRを名乗って来日公演もしていたようです。

奥様が日本人ということからもわかるようにレスリーは親日家でした。

もしかしたら、「レスリーが座ったベンチを探しに行った」友人も、来日したBCRを見に行っていたかもしれません。

レスリーの死、というニュースで様々な思い出が蘇ってきた、今日の私です。

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