ビートルズは、ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリソン、リンゴ・スターの4人からなるイギリスのバンドです。
彼らに影響を受けたことを公言しているオアシスのようなバンドがあるくらい、ビートルズがのちの音楽シーンに与えた影響は多大でした。
彼らについて書かれた本や、彼らに関する映像はそれこそ把握しきれないほど膨大な量で、バンドとしては10年に満たない短い期間で彼らが成し遂げたことの大きさに今更ながら圧倒されます。
さて、そんな彼らがちょうど「ライブバンド」としての活動から、「スタジオレコーディングアーティスト」へと活動の仕方を変えようとしていた頃に実現したのが、日本公演でした。
実際は、度重なるツアーや余裕のないスケジューリングに相当な疲れを感じていたメンバーですが、1966年6月29日の午前3時すぎに羽田に到着し、飛行機のタラップを降りる彼らは、JALから提供された法被を羽織った姿で報道陣に向かい笑顔を見せました。
そしてこの時の画像は、その後「ビートルズ」が日本の番組で紹介される際、たびたび使用されることになります。
記念すべき日本公演初日は、6月30日の夜。
場所は日本武道館で、ぎっしりつめかけたお客さんたちは、客席から立ち上がることも許されず、多くの警備員が何かあるとすぐに駆けつけられるようにぎっしり配備されるという厳戒態勢が敷かれていました。
そんな中前座の演奏が終わった後に始まったビートルズの演奏一曲目は、「ロックンロールミュージック」。
この曲はビートルズのオリジナル曲ではなく、チャック・ベリーのカバーで、2曲目に歌われた「シーズ・ア・ウーマン」からオリジナル曲となっていきました。
7曲目の「イエスタデイ」は、当時発売されてまもない作品でしたが、現在では音楽の教科書にも載るほどの「名曲」となっているのはみなさんもご存知だと思います。
そしてラストは「アイム・ダウン」。
全11曲の演奏は、時間にすると30分程度で、2時間越えのライブが珍しくないいまと比べると本当にあっというまの内容だったことがわかりますね。
それでも初めてビートルズの生の声と姿を目の前で見られた人たちは幸せだったと思います。
今朝の検索ワードで「ビートルズの日」が上位に上がっていたのを見た私は、若い人たちでも彼らに関心を寄せてくれている人がたくさんいることを知り、とても嬉しくなりました。